説教

2007年6月10日 日常
今日は、ご近所のお婆さんのお通夜に出席してきました。

私達がこの土地に越してきた時には、すでに80歳、足も悪く耳も遠かったようで、たまにお見かけする際に交わすご挨拶程度のお付き合いでしたが、見るからに温厚そうな品のあるご婦人でした。

享年93歳。

そして、出席したお通夜のときに聞いた和尚さんの説教になぜかとても胸が締め付けられました。

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和尚さんとお婆さんの出会いは今から15年前、お婆さんのご主人が亡くなられ、そのお寺の檀家さんになった時だった。

檀家さんになった方にお渡しするように、お婆さんにも、一冊のお経の本を渡し、ゆっくりでいいので、毎日お仏壇に向かって唱えてあげてくださいね。と、そのページに付箋をつけてお渡した。

その後、毎年お盆などでご自宅に出向きお経を唱えるたびにお婆さんのお経は流暢になっていった。

数年前のお彼岸のある日、お寺を訪れたお婆さんがお経の本が欲しいというので、紛失したのかなと思いながらも差し上げた。

そして、訃報をうけてお婆さん宅へ伺った際時、ご仏壇にある2冊のお経の本を拝見した。

古い本は、手垢で汚れ擦り切れ、お茶の染みもあったり、それはくたびれていた。

それこそお婆さんの温もりが感じ取られる位、読み込まれた証拠だろう。

こういうお経の本をみることができたのは、和尚冥利に尽きると感謝した。

明日のお別れの時には、お婆さんに一緒に持っていってあちらの世界でも唱えて頂くつもり。


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だいたいこんな内容だったと思うんだけど。
今こうして書いてみると、とるに足りないことかもしれない。

他にも四苦八苦という言葉の説法やらしてくれたし…。

なぜこんなにも私の心を揺さぶったのだろう?



お婆さんが和尚さんの言うとおり、お経を唱えていたことに感動した…わけではないと思う。

???

多くの檀家さんを抱えながらも、一人の檀家さんの日常の些細な出来事に気づき、そして感謝できる和尚さんの気持ちに感動したのだろうか…?

今もよくわからないけれど、とっても感動してしまった私は、恥じらいもなく喪主のご家族の方に、

「とてもいいお話を聞かさせていただきありがとうございました。」

と、ご挨拶して式場を後にしました。

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